――集会宣言文――
今年(2011年)の3月11日におきた地震・大津波、そして終りなき原発事故は、日本列島に住む多くの人びとに、社会・国家の決定的な転換が促されているという実感を、持たせているだろう。これが、戦後象徴天皇制国家が推進した経済成長至上主義の悲惨な帰結であることは、あまりにも明らかである。東北を中心とする、破壊された多くの人びとの生活の再建を願わない人間はあるまい。しかし、その復興が、震災前そのままの成長至上主義への回帰であってよいわけはない。
しかし、天皇アキヒト一族がくりひろげた被災者(地)への「慰問 」と「鎮魂」のパフォーマンスは、支配者たちの、単純な「回帰」 のための政治であった。なぜならそれは、原発推進(経済成長) 主義路線の責任を不問にするための「慰問」と「鎮魂」であったか らである。
私たちの8.15行動は、今日の「原発大国」日本をつくりだした 政治家・中曽根康弘が、原発マネーをテコに首相に登りつめ、靖国 神社の公式参拝をした1985年にスタートしたという事実を、 まず想起しよう。実行委員会は、その参拝に強く抗議するために作 り出された。私たちは、このときの運動について、当時、 以下のように整理している。
「中曽根行革は『軍事費GNP比1%枠』の突破、行革、臨教審、 靖国神社への参拝強行、東京サミット開催など、いわゆる『戦後政 治の総決算』路線を推し進めています。戦後アリバイ的に掲げられ てきた『平和主義』の看板さえひきおろして、戦争のできる国家へ と国是を転換させようとする攻撃です。中曽根は7月27日の自民 党軽井沢セミナーにおいて、『国家が戦没者を慰霊しなければ誰が 国のために喜んで命を捧げるか』と発言しました。 靖国神社呼応し気参拝は、現在の国家の名において過去の侵略戦争 を『聖戦』と美化し、侵略の尖兵として死んだ『天皇の兵士』を英 霊と讃えるものであると同時に、再び民衆を侵略戦争に動員し、 喜んで国―天皇のために命を捧げようとするイデオロギー攻撃にほ かなりません。/中国をはじめとするアジアの民衆は、中曽根がA 級戦犯のまつられている靖国神社を公式参拝したことに抗議して、 厳しい批判を加える大衆行動に決起しました。我々もまた、 さらに声を大にして、天皇の権威を前面に押し出した侵略賛美・国 家総動員のイデオロギー攻撃と対決してゆかなくてはなりません」 ('86「天皇在位60年式典」粉砕実行委に向けた呼びかけ文よ り)。
ヒロヒト天皇の時代からの私たちのこの反「靖国」のスタンスは、 政府主催(天皇参加)の「戦没者追悼式」へその批判を拡大し、ア キヒト天皇の代になり、日本が派兵国家化してしまう時間の中にお いても、不変であった。
〈3.11〉の激動は、私たちのこのスタンスに、変更を迫るもの であったか。否、まったく否である。。
私たちは、このスタンスに、さらにかつてはそれほど自覚的ではな かったスタンスを重ねることを、今日、個々で確認したい。 それは、「天空にかがやく太陽」と天皇を讃えた中曽根政治が、 戦後の原発(核の平和利用)大国日本をつくりだしてしまったこと の責任、この戦後に新たに生まれた〈責任〉を、国・政府・天皇に 問い続けるというスタンスである。
私たちは、天皇制(国家)の植民地支配・侵略戦争の責任を問い続 け、さらに現在の派兵・軍事国家化、象徴天皇制(国家) の原発大国化推進の〈戦後責任〉を問い続ける。 私たちはこうした運動を通じて、現在の「反原発」の動きに合流し ていくことを、ここに宣言する。
2011年8月15日
私たちの8.15行動は、今日の「原発大国」日本をつくりだした
「中曽根行革は『軍事費GNP比1%枠』の突破、行革、臨教審、
ヒロヒト天皇の時代からの私たちのこの反「靖国」のスタンスは、
〈3.11〉の激動は、私たちのこのスタンスに、変更を迫るもの
私たちは、このスタンスに、さらにかつてはそれほど自覚的ではな
私たちは、天皇制(国家)の植民地支配・侵略戦争の責任を問い続
2011年8月15日