20120215

江東区・警視庁による竪川野宿支援者への弾圧にかんする救援会声明



2月9日、江東区役所内で、前日の竪川で強行された行政代執行への抗議行動が闘われ、その渦中で、支援者のAさんが不当にも逮捕されました。 新聞・テレビニュースなどでは、Aさんが区役所内のガラスを割り、器物損壊の現行犯で拘束され、逮捕されたと、単なる「暴力事件」のように報じられています。
しかし、今回の事態の全責任は江東区にあります。
当日の抗議行動は、前日の行政代執行の理不尽なやり方に抗議した正当な申し入れ行動でした。
江東区土木部・水辺と緑の課は、2月9日に現地で団交を行うと約束しておきながら、抜き打ち的に代執行を強行、大勢の区職員と警備員が、当事者および支援 者を暴力的に排除して、小屋を破壊するという暴挙に出たのです。さらに9日に予定されていた団交は直前になって拒否されました。
9日の江東区役所への抗議行動は、こうした経緯の中で緊急に呼びかけられたもので、だまし討ち的な代執行と団交拒否の釈明を求めるために土木部に赴きまし た。ところが多数の職員が立ちはだかり、面会を拒否した上に、「退去警告」を繰り返し、まるで「不法侵入者」を追い払うかのように暴力的に排除したので す。
さかのぼること1月27日には、竪川のテント村に、多数の区職員、警備員、警察官が押し寄せ、フェンスを張って通行禁止にするという暴挙にでました。この際も、抗議する当事者、支援者が引きずりだされるなど、暴行が加えられました。
話し合いを拒否し、恫喝と問答無用の暴力で、竪川の住人の生きる権利、生活拠点を一方的に奪う江東区こそが弾劾され処罰されるべきです。
逮捕されたAさんは、深川署に留置されましたが、その夜中に突然、原宿分室に移送されました。人権を無視した警察の対応に抗議したことでAさんは、何と 「保護室」(保護房)に叩き込まれました。保護房でのAさんの生活は、枕もふとんも与えられず、トイレはむき出し、食事も手づかみ、蛍光灯が24時間つい ていて満足に眠れない、洗面、歯磨き、ペンの使用も認められない、本や新聞の差し入れもだめ、さらには、ひげ剃りや喫煙、体操さえもできないという、非人 道的な状況を強制されています。
「保護」どころか、拷問以外の何ものでもない、深川署および原宿分室の不当な処遇はただちにやめさせなければなりません。そして、Aさんを一日も早く取り戻すために、救援を呼びかけます。

江東区土木部への抗議を! Aさんを保護房に閉じ込め不当な処遇を続ける原宿署、取り調べを担当する深川署への抗議を集中してください。
救援カンパをお願いします。


2012年2月14日 2.9 竪川弾圧救援会 http://solfeb9.wordpress.com/

【カンパ振込先】
ゆうちょ銀行
振替口座 00140‐2-750198 口座名称:ミンナノキュー
※ 通信欄に「2.9竪川」とご記入ください

他銀行からの振込の場合: 019(ゼロイチキュウ)店 当座 0750198
※銀行振込の場合、振替用紙のように通信欄がないためメッセージが添付できません。メールアドレス:solfeb9(アットマーク)gmail.com の方へ入金次第を連絡していただければと思います。


【抗議先】
江東区・土木部 水辺と緑の課
電話: 03-3647-2538
FAX: 03-3647-9287

深川署
電話: 03-3641-0110(代表)

原宿署
電話:03-3408-0110(代表)

20120209

反天皇制運動 モンスター25号(通巻331号)

反天連機関紙 モンスター25号2012年2月7日発行


目次
扉★
主張★今年も抵抗の声をあげるぞ! 2・11行動へ!
動物(あにまる)談義★"金正日Xデー"の巻
状況批評★石油と国連常任理事国入りと「対テロ戦争」のための自衛隊スーダン派兵に反対しよう
反天ジャーナル★・「そんなに多いわけじゃない」!?


            ・ 生きてるうちが花なのか
            ・「福島からあなたへ
太田昌国の夢は夜ひらく23★「敵」なくして存在できない右派雑誌とはいえ・・・・・・
皇室情報の解読★ 〈3・11〉災後一年の状況下で宣言された〈廃太子〉行動のゆくえ

声明★国家による死者の纂奪を許すな! 天皇出席の3・11「東日本大震災追悼式」に反対する

書評★武藤一羊著『潜在的核保有と戦後国家』

     山本義隆著『福島の原発事故をめぐって』

ネットワーク★「原発? No, thank you!」ヨルダンの国会議員・弁護士は訴える報告

 【野次馬日誌】★1月5日~2月1日
【今月の暴言】★
【集会の真相】★・『首相官邸ど真ん前デモ』及び首相官邸申し入れ行動報告
・自衛隊の南スーダン派兵を許すな
反天日誌/集会情報/神田川★

http://hanten-2.blogspot.jp/


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20120205

【反天連声明】 国家による死者の簒奪を許すな! 天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に 反対する


国家による死者の簒奪を許すな!
天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に
反対する

2012年2月1日
反天皇制運動連絡会

1月20日、政府は「東日本大震災1周年追悼式」を開催することを閣議決定し、内閣府に「追悼式準備室」を設置した。報道によれば、「追悼式」の会 場は東京都の国立劇場で、1500名の規模。「地震発生時刻の午後2時46分に1分間の黙祷をささげる」「実行委員長を務める野田佳彦首相の式辞や、天皇 陛下のお言葉、岩手、宮城、福島3県から招く遺族代表のあいさつなどを予定している」という。


1年前のこの日、筆舌に尽くしがたい惨事が東北を中心とする人びとを襲った。それまでの生活は一瞬にして破壊され、たくさんの命が失われた。それを 目の当たりにした人びとにとって、また、そういった人びとに直接繋がる人びとにとって、この日が特別の意味をもつことは当然であり、失われた命に思いを寄 せ、その死を悼むことはあたりまえの感情である。だが、国家が「追悼式」において果そうとしていることは、国家がそういった人びとの感情をすくい取り、さ まざまな人の持つ多様な思いを、ある種の政治方向へと集約していくことにほかならない。だからこそ私たちは、国家による「追悼式」をけっして許すことはで きない。


野田首相は、1月24日の施政方針演説で次のように述べている。「大震災の発災から1年を迎える、来る3月11日には、政府主催で追悼式を執り行い ます。犠牲者のみ霊に対する最大の供養は、被災地が一日も早く復興を果たすことに他なりません。……東日本各地の被災地の苦難の日々に寄り添いながら、全 ての日本人が力を合わせて、『復興を通じた日本再生』という歴史の一ページを共に作り上げていこうではありませんか」。


「犠牲者のみ霊に対する最大の供養」が「復興」であるという。これは、例年、8月15日に天皇出席のもとで行なわれる「全国戦没者追悼式」におけ る、国家による死者の「追悼」の論理とそっくりである。私たちは、毎年、「全国戦没者追悼式」への反対行動に取り組んでいるが、それは、戦争の死者を生み 出した責任の主体に他ならぬ日本国家が、その死者を「戦後日本の繁栄」をもたらした存在として顕彰することによって意味づける儀式であるからだ。そこに決 定的に欠落しているのは、その死をもたらした戦争に対する反省の意識である。国家がなすべきことは、戦争の死者を褒め称えることではない。被害者(戦場に 駆り出された兵士たち、空襲や原爆投下などによるおびただしい死者、そして日本の植民地支配と侵略戦争によって生み出された他民族の被害当事者と遺族た ち)にたいして責任を認めて、謝罪と補償(恩給などというものではなく!)を行うことである。


この8.15と同様の政治が、3.11においても起動されようとしている。そして8.15において隠蔽されるものが国家の戦争責任であるとすれば、3.11において隠蔽されるものは国家の「原発責任」とでも言うべきものである。


野田の演説において、地震・津波災害と原発事故災害とは、たんに並列されているだけである。地震・津波の被害をあれほどに拡大させてしまった責任は 国にもあるはずだが、それ自体は「自然災害」ではあろう。しかし、それによって起こされた原発事故は100%の人災である。国家的なプロジェクトとして原 発を推進し続けた国に、事故の根本的な責任があることは明白である。自然災害はおさまれば確かに暮らしは再建され「復興」に向かうはずだ。しかし、現在進 行形の原発事故は、決して旧に復することのできない深い傷を、日々刻み続けている。原発政策をそのままにした「復興」などありえない。野田もこの演説で 「元に戻すのではなく、新しい日本を作り出すという挑戦」が「今を生きる日本人の歴史的な使命」であるなどと述べている。だがそれは、「自然災害に強い持 続可能な国づくり・地域づくりを実現するため、災害対策全般を見直し、抜本的に強化」することであり、「原発事故の原因を徹底的に究明し、その教訓を踏ま えた新たな原子力安全行政を確立」することでしかない。こんなことは、従来の原発推進路線においてすら、タテマエとしては掲げられてきたことではないの か。


このふたつの災害を切り離して前者のみを語ることは、その責任を負っている国家にとっては、決して許されることではないはずだ。「追悼式」におい て、死者の死はもっぱら今後の「復興」にのみ結びつけて語られ、いまなお原発事故の被害を受け続けている人びとをも含めて、被災一般・苦難一般へと問題は 解消され、それを乗り越えて「復興に向けて頑張ろう」というメッセージへと「国民的」な動員が果たされる。野田の演説にも見られる「全ての日本人」「日本 再生」といった言葉は、多数の被災した在日外国人を排除するだけではない。被災者のおかれているさまざまな苦難の差異を消し去り、あやしげな「共同性」に 囲い込み、挙国一致で頑張ろうと忍耐を求める国家の論理なのだ。


さらに、国家によって「追悼」されるのは、個々の固有の名を持つ死者ではありえない。儀礼的な空間の中で、具体的な個々の死者は、集合的に追悼され るべき単一の死者=「犠牲者」なるものに統合されてしまう。その抽象的な死者に対して、国家のタクトにしたがって、「国民的」行事として一斉黙祷がなされ る。それはあくまで、儀式を主宰する国家の政治目的のための「追悼」なのだ。それはそのとき、さまざまな場所で、自らの思いにおいて個別の死者を悼んでい るだろうすべての人びとの行為をも、否応なく国家行事の側に呑み込み、その一部としてしまう。それが、国家による死者の簒奪でなくて何であろうか。


この儀式において、天皇の「おことば」は中心的な位置を占めるだろう。天皇は、昨年の震災直後にビデオメッセージを発し、また、被災地を慰問して 回った。そこで天皇が果した役割は、被災者の苦難にたいして、その悲しみや怒りを、「慰撫」し「沈静化」させることであった。そのパフォーマンスは、マス コミなどで「ありがたく、おやさしい」ものとして宣伝され続けた。しかし、天皇とは憲法で規定された国家を象徴する機関である。そのような存在として天皇 は、震災と原発事故が露出させた戦後日本国家の責任を隠蔽し、再び旧来の秩序へと回帰させていく役割を、精力的に担ったのだ。それこそが天皇の「任務」な のであり、3.11の「追悼式」において天皇が果すのも、そのような役割であるはずだ。


国家がなさねばならないことは別にある。震災と原発事故の被災者の生存権を守り、被害に対する補償や支援をし、さらには被害の一層の拡大を防止する ためにあらゆる手立てが尽くされなければならない。そして、これまでの成長優先社会の価値観からの転換がなされなければならない。しかし、政府が行おうと している方向性は逆だ。原発問題一つとっても、老朽原発の寿命の延長を可能にし、インチキな「ストレステスト」を強行して無理やり再稼働に進もうとしてい るではないか。それは、「復興」されようとしている社会が3.11以前と同じ社会であること、そこにおいて利益を享受していた者たちの社会であることを物 語ってしまっている。この点で私たちは、国家による「追悼式」への抗議の声を、3.11というこの日においてこそ、反原発という課題に合流させていかなけ ればならない。

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